2009年07月05日

バッハ、宗教

上杉春雄さんという、ピアニストであり医師でもある方の演奏を今年も魚津に聴きにいってきました。

彼のバッハは、本当にこの世のものではないほど素晴らしい。
神様がいて、天国があって、聖霊がいて、キリスト、人間の苦悩、俗世があって…。宗教の世界が、音になって胸を打つのです。
もちろん、弾く前にキリスト教や音楽修辞学について(この音型は十字架を表すとか、神様万歳グローリア!と言っている音型だとか…)いろいろと説明してくれているから理解しやすいというのもあるのだけど、それがなくとも、なんだか人間が出している音ではないほど、多彩で豊かで…バッハの平均律の内容を、ここまで立体的に美しくあぶり出せる人には、今まで会ったことがないような気がします。

聴いていると、小さなホールでたったピアノ一台で弾いているのに、まるでヨーロッパの教会の中にいるよう。
信者たちが、静かに祈りを捧げ、罪を悔い改め…。
高い天井に鳴り響くパイプオルガン、聖歌隊の透明な歌声、周囲にみなぎる力強い「信じる力」。

バッハは、ドイツから一歩も出なかった人だけど…彼の音楽を聴いていると、数年前にイタリア・ヴァチカンに行った時感じた、圧倒的な宗教のパワーがよみがえってきました。
ミケランジェロの、ピエタ像。システィーナ礼拝堂の天地創造…。
世界中から集まる信者たち。胸で十字をきって、サン・ピエトロの中で涙を流していた信者たち。

音楽をしていると、たまに「音楽の神様」に出会える瞬間がある。
そういうわけで、私は無宗教だけど、神様の存在は信じているし、ヨーロッパに住んでいただけあってキリスト教に触れる機会が自然と多かったのです、向こうの人たちにとっては、生活の一部のようなものだから…。
上杉氏が弾くバッハを聴いていると、ヨーロッパの音楽であるクラシックの原点はやはりここだと、改めて感じました。
音楽をするものとして、もっとキリスト教を知らなくちゃいけないなぁ。


普段、神経内科の医長として働く上杉氏。
彼にとって、ピアノを弾くという行為は、もしかしたら一種の贖罪であるのかもしれないな、とふと思った。人間誰しも罪はあるもの。
奢りやプレッシャーなんかとは無縁なところで、淡々とピアノに向き合って、静かな表情で祈りを捧げているような、もしくは許しを得ているような、そんなバッハ。
音楽に向き合い、そこに隠されたものを見つけて一つ一つ音にすることによって、発見して表現する喜びはもちろんのこと、何か救いのようなものを得ていらっしゃるのかもしれない…と勝手に想像してみたり。

上杉氏が弾く、バッハ平均律クラヴィーア曲集第一巻、4曲目。
プレリュードの最初のホンの一小節。
そこを聴いただけで思わず溢れてしまった涙は、ついこの間ドイツに行ったとき、バッハが眠るトーマス教会で流した涙と同じ涙。
人智を超えるものへの憧れ、恐れ、そして、人間という存在への敬意。
そんなものを感じながら、あっという間の二時間のコンサートでした。
素晴らしかった。


夜には、合唱団クール・ファミーユの練習へ。
今日は指揮者のH先生がノリにのっておられて、奇しくも「音楽修辞学」についてどんどん語ってくださってもう止まらない。
「この音型は愛、これは逡巡…ここのオクターブのハーモニーは1対2で完璧な神になってないとオカシイんだよ!!」、ああ、今日はついさっきも上杉氏のその手のお話を聞いてきたところです!!となんだか嬉しくなりつつ、コンクールに向けて熱が入ってきたH先生のキツイ指導に、こちらはニンマリ。
さすが、H先生。いつもの温厚な先生も素敵ですが、本番に向けてどんどん完璧主義で神経質になっていく、この怖い先生の指導を待ってたのですよ、私は。
喰らいついていけるように、団員の皆、頑張ろう!!


posted by ikuko at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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